日本電気協会のあゆみ
明治
明治25年4月
「日本電燈協会」発足。当時の会員は64名、準会員9名でした。 帝国議事堂の火災が漏電によると発表され、創業早々の電気事業にとって容易ならぬ事態となり、事業の順調な発達を期するため、協会設立の運びとなりました。
明治28年5月
電燈協会は、「日本電気協会」と改称しました。
大正
大正9年
経済恐慌、同12年の関東大震災などの影響を受けながらも、時代の進運に伴って電力の需要は増加の一途をたどり、全国各地に電気事業が相次いで設立されました。 発・送電技術の飛躍的発達により、山岳地帯での大規模水力の開発と高圧送電線による主要消費地への輸送が可能となり、電気事業の経営規模は著しく拡大しました。
大正10年10月
旧日本電気協会(東京)、旧中央電気協会(大正2年10月設立、大阪)、旧九州電気協会(大正4年4月設立、福岡)の3地区電気協会は、その業務内容に共通の事項が多く、社会的要請により合同して、社団法人「電気協会」が設立されました。
昭和 (戦前)
昭和14年
昭和に入り、電力戦国時代といわれる激しい競争を経験したあと、電力連盟を結成するなど、いわゆる5大電力時代を迎えました。日本発送電株式会社の設立と共に、電力は国家管理の時代に移り、16年の配電統合により9地区に配電会社が発足しました。
昭和18年10月
会名を社団法人「大日本電気会」と改めました。
昭和 (戦後)
昭和22年5月
敗戦焦土のなかから復興に立ち上がり、第26回総会で会名を社団法人「日本電気協会」と改め、新時代への再スタートを切りました。 産業活動が次第に活発になるにつれて電力不足は破局的様相を呈するに至り、国を挙げて電力危機突破対策が展開され、本会では「電力は国の宝」運動を実施しました。 電力再編成により、9電力会社が発足し、それに続き電源開発会社が設立されました。 さらに、電力広域運営への移行など、電気事業も次第に全産業の基盤としての強固な体制を整備し、これに伴い本会業務も経営問題や技術調査など、電気事業が当面する諸問題について解決への成案を得るため、各種委員会を構成、広範囲な活動を開始しました。
平成
平成23年4月
公益法人制度改革への対応として、地方協会を支部化し運営体制を強化。 多様化の時代を迎え、情報化が進展し、より一層の豊かさ、便利さ、快適さ、美しさが求められるようになりました。 本会業務においても、地球規模の環境・エネルギー問題や原子力発電の推進への協力など、電気事業に役立つ新たな業務活動に取り組んでいます。
平成25年4月
一般社団法人への移行を果たしました。